この豪雪に思うこと/福井宇部生コンクリート株式会社 常務取締役 石川 裕夏
37年ぶりに嶺北を襲った今回の大雪は、本当に甚大な被害をもたらすものだった。これまでの雪でさえ不便を感じていた関西出身の私にとっては、まさに別次元の降雪で、国道8号線の1000台を超える車の立ち往生や、徒歩でしか移動がままならならず、やっとの思いでたどりついたスーパーには買うものがない。そんな状況は、過去に私が経験した阪神大震災時の人々の様子と重なり合うようであった。
生活道路の大掛かりな除雪が進まず、もどかしい日が続いてはいたが、それでも昼夜を問わず作業にあたって下さった自衛隊、建設業者、地域の方々の皆さんには本当に感謝するばかりである。除雪にあたっていたある高齢の重機オペレーターの方は、「本当にしんどいが、使命感と責任感だけで、寝る間を惜しんで除雪を続けている。」とおっしゃられていた。折からの建設業者の減少に加え、少ない雪に慣れてしまった福井では、除雪のできるオペレーターの確保は非常に難しくなっている。足りない人数で休む間もなく、みなヘトヘトになりながらも、極寒の深夜、重機に乗って除雪をしてくださる姿には、本当に胸が熱くなった。建設業に対しては、とかくネガティブなイメージがついて回りがちだが、災害時、最前線で地域を守るのは、その地域にいる建設業者なのである。そのことを、今回、私自身も一生懸命作業にあたって下さる作業員の方々を目の当たりにして、強く再認識した。東日本大震災以来、声高に叫ばれてきたのが、「災害に強いまちづくり」である。これを進めるうえで、地域を守り、復興を助ける建設業者を育てる仕組みが今まさに必要なのではないかと思う。
このように、雪のあいだ、とても大変な目にあってはいたが、一方で今回あらためて感じることができたのが、近所同士、すれ違う人同士の優しさであった。プライバシー重視の昨今は、日常的には深く立ち入らずに軽い挨拶程度ですませることが大半であるが、この大雪では、そこに居合わせた人同士が協力し合って除雪をしたり、道で立ち往生する通りすがりの車を押し合ったりすることが何度もあった。私自身も車を引っ張ってもらったり、押しに行ったりして、一緒に掛け声をかけあって脱出できたときには、よかった、よかったと喜び合った。そのときには不思議な一体感を感じて、心が軽くなるようだった。この雪をとおして深まった、ご近所とのつながりは、大雪がもたらしてくれた思わぬプレゼントであったなと、あらためて思う。
私にとって、福井の冬の厳しさと福井の人々の温かさを今一度実感する、18年目の冬であった。
(平成30年3月 福井法人会ニュース)
人のためのコンクリート/福井宇部生コンクリート株式会社 常務取締役 石川 裕夏
東日本大震災が発生して、はや半年が経過した。今回の震災では、甚大な被害がもたらされ、自然の脅威と人間の無力さをまざまざと見せつけられた気がする。さらに、私たちの住む日本が世界に類をみない災害国であることも、あらためて認識させられた。災害は地震だけに限らず、我が国においては、台風や集中豪雨、火山活動など、様々な災害が待ち受けている。震災からの一日も早い復旧復興を全力で進めると同時に、今後の来るべき災害に備えることが必要である。
しかしながら、我が国での巨大地震等の災害に対する備えに目を向けてみると、ここ数年は、「コンクリートから人へ」のスローガンのもと、防災上、必要不可欠なインフラ整備さえ、まともに行われていない。防災力は非常に心もとない状況にある。防災事業の効果は平常時には意識されにくいため、場合によっては“無駄”とさえ判断されてしまうが、はたして災害有事への備えを“無駄”と片付けてしまってよいのだろうか。学校や病院、橋などの耐震化、海岸の堤防強化や河川の護岸整備、災害に強い交通ネットワークの整備など、やるべきことが山積している。国土や地域の安全・安心なくして、豊かなくらしはありえない。自然災害の発生そのものを止めることができない以上、我々自身が備える以外にないのである。
今回の地震による津波は、防波堤や防潮堤をも破壊するほど巨大なものであり、その被害を完全に防ぐことは不可能であった。しかし、その被害を軽減する「減災効果」は間違いなく認められている。岩手県釜石港の防波堤は、市街地への津波の浸水を6分遅らせることができたほか、浸水高さを約4割低減できたのである。
災害時の被害を可能な限り軽減して人の命を守るコンクリート、すなわち「人のためのコンクリート」は必要不可欠である。大震災を経験した日本こそが世界に先駆けて災害に強い国となれるように、私もコンクリート技術に携わる一人としてその一翼を担いたいと思う。亡くなられた尊い命を無駄にしないためにも、防災に果たすコンクリートの役割を今一度、見直してみるべきではないだろうか。
(平成23年9月 福井法人会ニュース)
コンクリートシンダンシ/福井宇部生コンクリート株式会社 常務取締役 石川 裕夏
日本の文化から生まれた世界共通語、「モッタイナイ」。コンクリート構造物に対しても、この「モッタイナイ」精神で向き合わなければならない時代となった。
二十世紀は、「鉄とコンクリートの世紀」とまで言われ、膨大な量のコンクリート構造物を生み出す世紀であった。これに対して、環境保全が喫緊の課題となった二十一世紀は、老朽化がすすむコンクリート構造物を無駄なく、適切に維持管理していかなければならない時代である。今後、コンクリート診断士の役割がますます重要となるであろう。
福井県では、「福井県コンクリート診断士会」を設立し、4年半が過ぎた。この間の活動を通じて、コンクリート診断士の存在は広く知られるようになり、コンクリート診断士としての業務の依頼も出てくるようになった。この診断士会には、官公庁、建設会社、建設コンサルタント、コンクリート製造業などの幅広い業種の技術者が集まっている。私自身は、この会を通じて、素晴らしい仲間と出会え、異業種の方々と互いに交流を深めることで、技術を学ぶだけでなく、技術者に必要な心構えや姿勢をも学ぶことができた。
我われ、コンクリート診断士は、今後さらなる研鑽に努め、二十一世紀を支える技術者の一員として、社会に役立ち続けたい。そして、いつの日か、日本だけでなく海外にまで活躍の場を広げ、「コンクリートシンダンシ」という世界共通語が生まれるくらいの活躍ができればと思う。
(平成20年11月3日 セメント新聞 コラム”あんぐる” 最終回)
日本的感性による技術/福井宇部生コンクリート株式会社 常務取締役 石川 裕夏
世界的にみて、自然災害が多いとされる日本。古来より、日本人は、台風や洪水、地震などの自然災害と常に隣り合わせで生活をしてきた。このため、日本人は、「自然にはかなわない」といった畏敬の念を持って自然と向き合っている。建物を建てる際には地鎮祭を施し、トンネルが貫通した際には神輿を担いで練り歩く。この姿は、自然を恐れ崇める、いかにも日本的な考えの象徴であろう。
その一方で、欧米では「自然は人間がコントロールするもの」という考え方で、自然は人間が制御できる対象として扱っている。欧米の庭園が、幾何学的で、いかにも人工的な形状をしているのもその表れといえる。
日本の自然観と欧米の自然観、それぞれ大きく異なるが、日本人には、自然と長年向き合ってきたなかで育まれた独特の感性が存在する。この感性こそが、日本の自然科学を生み出し、建築・土木技術を発展させてきた。また同時に、自然に対する無力感が謙虚さや道徳観を生み、技術者の倫理観をも培ってきたのである。
しかし、それが今、大きく変わろうとしている。耐震強度の偽装問題をはじめとする技術者倫理を逸脱した問題が数多く発生している。技術がいつのまにやら「”偽”術」となり、日本人が持つべきはずの倫理観も「倫”離”観」となってしまった。日本の技術に対する国際的な信用も揺らぎ始めている。
今こそ、日本人としての原点に立ち返り、「日本的感性」を生かした技術の再構築が必要ではなかろうか。
(平成20年9月29日 セメント新聞 コラム”あんぐる” 第3回)
技術の価値を伝えよう!/福井宇部生コンクリート株式会社 常務取締役 石川 裕夏
「科学技術立国ニッポン」。高度経済成長期以降、日本はこう呼ばれ、科学技術を中心に目覚ましい発展を遂げてきた。今、この日本において、理系離れの問題が深刻化している。正確に言うと、生じているのは、理系離れではなく、工学系離れである。医学系や歯学系の志望者はむしろ増加しており、工学系のみが激減している状況にある。これは、工学系技術者の社会的地位が他の職種に比べて低いことに一因があるとされている。
技術者の社会的地位を向上させるためには、まず何よりも、その技術の価値を社会に知ってもらわなければならない。しかしながら、現状は、「技術者が係る業務をコツコツと誠実に行い続けることで、いずれは、その価値を社会が認めてくれるであろう。」という希望的観測のような考え方に囚われ、技術の価値を社会に発信する努力を怠っているように感じる。よい商品があっても、それを知ってもらわなければ全く評価されないのと同じで、いくら優れた技術があっても、その技術の意義や価値が社会に認知されなければ意味がないのではなかろうか。技術者自らが「技術の価値を伝える努力」を惜しんではならないのである。
我われ、福井県コンクリート診断士会も、今後、コンクリート構造物の維持管理がますます重要となるなかで、専門技術者としての存在意義を社会に広く伝える努力を続け、その役割を果たしていきたい。
そして、科学技術立国ニッポンの一翼を担い続けたい。
(平成20年8月25日 セメント新聞 コラム”あんぐる” 第2回)
歴史は繰り返すのか!?/福井宇部生コンクリート株式会社 常務取締役 石川 裕夏
「約200年間にわたって建設した大量の建造物の維持補修が国家財政上の重い負担になって国力の低下を招き、滅亡に追い込まれた国がある。ローマ帝国である。」これは、『コンクリート文明誌(小林一輔氏著)』という著書の冒頭のくだりである。
いまの日本も、高度経済成長期に建設された橋や建物などのコンクリート構造物が老朽化し、これらの維持補修が急務となっている。「安全」、「安心」な暮らしを持続的にもたらすためには、構造物の維持管理が必要不可欠である。
しかしながら、構造物の維持管理への国民的関心はいまだ低い。これは、構造物の新設工事に比べて、維持補修は利便性の向上などを直接もたらさず、その効果を実感しにくいためであろう。実際、道路特定財源の見直し問題が生じた際も、新しい道路の話が中心で、既につくられた道路の維持管理の話はあまり議論にならなかった。それだけ、維持管理に対する意識がまだまだ希薄なのである。海外で生じた落橋事故のように、悲劇が起こって初めて維持管理の重要性に気づくということにはならないであろうか。
維持管理が適切に行われる社会を構築するためには、官公庁などの事業者だけでなく、市民の幅広い理解が欠かせない。我われ、コンクリート診断士は、構造物の維持管理に技術的に携わるだけでなく、維持管理の重要性を市民に広く啓蒙していく努力も必要である。
ローマの歴史を繰り返すわけにはいかないのである。
(平成20年7月14日 セメント新聞 コラム”あんぐる” 第1回)